黒井マダラのあれやこれや

黒井蛇口のあれやこれやです。

脳を舐める

 前回ブログに書いた「肉を脱ぐ」が思いのほか好評だったので、今回も似たような題名の文章を書こうと思います。
 はじめに。今回の記事は「脳を舐める」ことを推奨するものではありません。この記事を読んだ誰かが脳を舐めようとした結果あまり愉快でない事態に陥ったとしても、僕にその責任はありません。この点を理解された方のみ、続きをお読みください。

 

 僕は先ほどまで脳を舐めようとしていました。
 こう書くと、猟奇的な話が好きな方はこのような情景を想像するでしょう。病院の一室にむき出しの脳が保存してあり、それを舐めるために僕が侵入を試みている。もしくは誰かに対して僕が「脳を舐めたい」という欲望を抱き、それを達成するためにその人の頭をかち割ろうと企てている。どちらの想像にせよ、その中での僕は犯罪者予備軍、同時にまごうことなき「怪人」です。
 名誉を守るために強調しますが、僕は決して誰か他の人の脳を舐めようとしていたわけではありません。僕は自分自身、黒井蛇口本人の脳味噌を舐めようとしていたのです。自分の脳を自分で舐める、これなら誰にも迷惑がかかりません。勝手にやっても許されるでしょうし、当然許されるべきです。人間に生まれつき備わった権利、と言ってもいいでしょう。諸君! 諸君には諸君自身を舐める自由がある! 舐めることを妨げる奴らに耳を貸すな! 奴らは諸君の敵だ! 諸君、自らを舐めるために自由を守れ! 天は諸君に舌を与え給うたのだ!
 人々に一くさり檄を飛ばしたところで、本題に戻りたいと思います。そもそもなぜ僕は脳を舐めようなどと考えたのでしょうか。それを説明するためには話を一昨年に戻さなければなりません。
 高校一年生の頃、僕は擬似科学に凝っていました。その頃の僕はあまり体調がよくなく、ネットリテラシーも持ち合わせていませんでした。皆様も経験したことがあると思いますが、何か健康上のトラブルについてインターネットで検索すると見事に玉石混交の結果が現れます。まだインターネットに弱かった僕は、その中でもかなりタチの悪いサイトにハマってしまったのです。
 いくつかの「健康法」には効き目が見られました。「いわしの頭も信心から」というやつでしょうが、それでも素晴らしい話です。その中には現在まで続けているものもあります。
 しかし多くの「健康法」は使い物になりませんでした。中にはあのまま続けていたらかえって身体を壊していたであろうものも存在します。やはり正統な医学が一番ですね。
 さて。そのような怪しい「健康法」の中に「脳舐め」は混ざっていました。どのサイトだったか忘れてしまったので、今から僕は記憶を頼りに「脳舐め」の詳細を綴っていきたいと思います。
 人間の口は奥で鼻に繋がっています。急に笑った時に鼻から飲み物が出てしまうのはそのためです。また、世の中にはたいへん舌の器用な人がいて、そういった人たちは舌を喉の奥に伸ばして飲み込むことが出来ます。ここまでは恐らく事実です。
 ここから怪しい話。現代文明は堕落しており、その中で暮らしていると僕たちの脳は次第に石灰化していきます。石灰化が進むと脳は思考能力を失ってしまいます。ちなみに世界の支配者たちは民衆の脳が石灰化することを望んでいます。
 石灰化を防ぐためにはさまざまな方法がありますが、最も直接的で効果があるのは「脳舐め」でしょう。方法は簡単。先ほど僕は舌を飲み込める人たちについて書きましたが、その要領で舌を今度は上へ伸ばせばいいのです。しばらく伸ばせば舌先が脳に届くので、石灰質を舐めとってください。刺激が脳の活性化を促進します。上手くいけば、あなたはかつての人類が持っていた《高次元の知覚》を取り戻すでしょう。また脳は非常に美味しく、それも「えもいわれぬ」妙味がします。
 以上で与太話は終わりです。さすがに当時の僕もこの内容には驚き呆れました。

 この「健康法」は僕にとって毒にも薬にもなりませんでした。そもそも試さなかったのですから。強烈な印象だけを残して、「脳舐め」は僕の思考から消えていきました。
 その記憶が先日、急に思考の水面まで浮上してきたのです。なぜ僕は「脳舐め」を思い出したのか。それはあるアプリをスマートフォンに入れたことに由来します。
 「MAU M&R 博物図譜」。武蔵野美術大学の所蔵する、博物学に関する図譜を無料で閲覧できるアプリです。僕は博物学に興味があったので、そのアプリをダウンロードしました。
 その中で僕の記憶を刺激したのは人体に関する図譜、具体的に言うとG.ダゴディ『人体構造解剖図集』です。その本の中には人間の頭部の断面図がありました。それを見た瞬間、僕は電撃のように「脳舐め」を思い出してしまったのです。
 武蔵野美術大学に許可を得るのが面倒だったのとダゴディ氏の図が説明に適さなかったことから、素人なりに描いてみました。

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 このような図を見てはじめに僕は、「鼻が脳と繋がっていない!」ということに気づきました。よく考えたら当然のことです。プールで鼻から水が入ってしまうことがありますが、あの時脳までが水浸しになっていたら大変です。
 しかし、次に僕は鼻腔と脳の間の壁が割と薄いことに気づきました。このような図だと他に比べてかなり薄く見えます。脳で頻繁に痴話喧嘩が起こったら鼻腔の住民は引越しを考えるでしょう。
 直接脳を舐めることはできないが、この薄さなら「滲み出して」いるかもしれない。そうだとしたらぜひその妙味を味わってみたい……そう思った僕は、まず舌を飲み込んでみることにしました。成功すればあとは上に伸ばすだけです。

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 僕は三枚に畳めるほどの器用な舌を持っています。割と簡単にいけるだろう、当初はそう思っていました。
 「んぐっ!」
舌を強く吸引した瞬間、僕は二重の苦しみを覚えました。
 まず喉。餅を丸飲みしたような強い負荷が喉にかかりました。これは詰まる、そう反射的に感じたのか喉は舌を吐き出しました。
 同じ瞬間、舌も苦痛を覚えていました。当然です、強い力であらぬ方向へ吸引されたのですから。引き抜かれる、そう反射的に感じたのか舌は元の位置へ戻りました。
 結局、脳を舐めることは叶いませんでした。その代わりに僕は死の恐怖を味わわされました。何事も舐めてかかってはいけない。これが今回得られた教訓です。

肉を脱ぐ

 先月祖母の葬式がありました。それ以来私は、自分の葬儀についてぼんやりと考えるようになりました。

 どのような弔いが自分にふさわしいか。色々と考えた末、私は「ミイラになりたい」と願うようになりました。

 古代エジプト人は復活のために死体をミイラにしました。しかし私は復活を望んでいるわけではありません。そうではなく、「乾きたい」という欲求があるのです。

 私の尊敬する哲学者ヘラクレイトスの言葉に、「乾いた魂こそ,最上の知を備え,最もすぐれている.」というものがあります。(ヘラクレイトスについては後日また記事を書こうと思います。)「乾いた魂」とはよく分からない表現ですが、私はいわゆる通俗的な意味での「ドライさ」だと理解しています。

 私もドライでありたいと思っているのですが、現実の私は心身ともに湿り気のある人間です。身体は天性の汗っかき。夏の暑い盛りには披露宴の新婦のような頻度で服を着替えています。精神面も同じくドライとはかけ離れています。常時はねっとりじっとり、非常時は沸騰しがち。カビの生え揃った男子高校生でございます。恐らく私は一生このような性格なのでしょう。

 生きている間にドライでいられないのならば、せめて死んでからは乾燥していたい。そう思った私はミイラ化を望むようになりました。当然、エジプトのファラオのような大層手の込んだ処理は要りません。血液と内臓を抜いたあと塩を揉みこみ、上州のからっ風に一冬さらす。この程度でも立派なミイラは完成すると思われます。

 もちろん私は「火葬をしないといけない」ことぐらい知っています。しかし、それなら一旦干してから焼いた方がよく燃えると思います。上手に作ればチャッカマン程度で燃えるのではないでしょうか。

 

 そもそも私は葬儀以前に身体をもう少し軽くしたいと思っています。特に寝るとき。

 私はいつも眼鏡をかけているのですが、就寝時には外すようにしています。靴下や腕の数珠も外して布団にもぐるのです。

 私はしていませんが、裸で寝る文化圏もあると聞きます。やはり身体を軽くして寝たいと思うのは万国共通のようです。

 しかし、私は裸程度では満足できません。もっと軽くしたい、肉も脱いでしまいたい。いつしか私はそう思うようになりました。

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 私が考えた理想の睡眠を絵にしました。ハロウィンらしい、いい絵が描けたと思います。

 さすがに胴体の内臓は細かいので、朝まとめるのが面倒になると思い外しませんでした。それ以外の筋肉や脂肪、皮膚の部分は脱いでハンガーにかけます。また、私は普段から「頭蓋骨よりも脳の方が大きい」ような違和感を覚えているので、脳は取り外しました。脳とくっついているので眼球も一緒に取り外します。ただまぶたがないのは多少まぶしいので、寝る前にはペイズリー柄の手ぬぐいか何かで覆おうと思います。

 手足も取りたいです。いつも私は手足の下に枕を敷いて寝ているのですが、それは手や足といった末端に血が溜まる感覚がするからです。しかし、それならいっそ外して逆さ吊りにしたいと思います。

 私は中学時代吹奏楽部だったのですが、使い終わった管楽器はバラバラに分解して収納しました。人間も寝るときぐらいバラバラに分解できないのでしょうか。

 最後に、人体のデザインに関わっている方へ私から一言。私たちユーザーからの意見をくみ取り、もう少し便利な身体を開発していただけませんでしょうか。私は真剣に、分解可能なものが発売されたら乗り換えたいと思っています。ユーザー目線での人体開発、期待しています。

今朝の夢「赤旗」

 少し変わった夢を見たので記録しておこうと思います。タイトルの通り、政治的なシンボルが登場しますがそこはお気になさらず。もちろん何かの比喩などではなく単なる夢の記録です。また事実に基づく部分については括弧で示します。

 

 私は中学卒業と同時に慣れ親しんだ郷里から引っ越した。引越しといっても隣町だが、それ以来郷里の人々と会うことはめっきり減ってしまった。近くて遠い、そのような感覚を私は隣町の郷里に抱き続けている。(ここまで事実)

 ちょっとした用事があったので久々に郷里へ帰った。懐かしの田舎道、寂れてしまった商店、広がる果樹園……曇天の下に広がるそのような風景をぼんやりと眺めながら、私は道路を歩いていた。

 もうすぐ母の実家だな。そう思って歩いていくとあるものが目に入った。巨大な赤旗が集会所の上辺りにはためいている。それもただの赤旗ではなく、鎌と槌がデザインされた「共産主義者の旗」だ。

 私は驚いてしまった。元々ここはそういう土地柄ではないのだが、急に共産主義者が増えたのだろうか。それとも特に理由もなく景気づけに掲げているのだろうか。

 (ここから事実)私が今住んでいる街には奇妙な建物がある。その建物の屋根の頂きには現ロシア国旗がはためいているのだ。またその建物の壁には某国民的アニメのキャラクターも描かれている。もちろんこれらは単なる景気づけだろう。ちなみに私はその建物のことを「大使館」と呼んでいる。(ここまで事実)

 それにしても巨大な旗だ。百畳凧のようなベラボウな赤旗がからっ風に吹かれている。これほどの旗が果たして景気づけのためだけに? 私はまた疑問に思った。よく見るとその旗はソ連邦の国旗ですらなかった。起きてから記憶に基づいて再現したものが①である。私が作ったので少し拙い画像だがそこは我慢していただきたい。

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 このような旗を私は見たことがなかった。どこの旗だろうと首をひねっていると、今まで見えていなかったもう一つの旗に気がついた。それも同じく百畳凧のような巨大な旗で、赤旗よりも右に掲げられていた。②がその旗である。

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 櫛でとかしたギリシャ、といった印象の旗。国旗というよりも船が連絡用に掲げそうな印象だが、とにかくこのようなストライプ柄の旗がともに掲げられていた。

 さて、二つを見た上で改めて私は困惑した。意味が分からない。そう思って町を見回すと、さまざまなところに鎌と槌のポスターが貼られていた。

 ああ、と私は得心した。「旧ソ連展」のようなものが行なわれているのだろう。だからこのような旗やポスターが掲げられているのだな。私はそう考えた。

 それにしても珍しい光景だと思い写真を撮っていると、声をかけられた。振り返ると永らく会っていないが中学時代の友人M嬢が立っている。M嬢によると集会所の中には多くの友人がいるようだ。私は興味を惹かれたので中へと入っていった。確かに多くの人でごった返しているようだ……

 

 ここで目が覚めました。起きた後で気付いたのですが、これは革命の夢ですね。あまりにものんびりとした風景の中だったので夢の最中ではそうだと分かりませんでした。現実の革命というのも案外そのようなものなのでしょうか。

 よく考えると、歴史上の大事件が起きた日にもいつもと変わらず食事していた人はいたわけです。そういう視点から振り返ってみれば、この夢に漂っていた妙に親しみのある空気感にも納得がいきます。

慈氏の朝日はまだ遥か

お久しぶりです、黒井です。

昨日、私は38.2度の熱を出しました。そんなこんなで今日も学校を休んでしまったのですが……

 

休んでいる途中、私は梁塵秘抄をぺらぺらとめくっておりました。

梁塵秘抄とは、言わずと知れた平安時代末期の歌謡集です。撰者はかの後白河法皇

当時の雰囲気なのか撰者の趣味なのか、宗教に題を取った歌が目立ちます。

これなどは有名ですね。

ほとけは常にいませども

うつつならぬぞあはれなる

人のおとせぬあかつきに

ほのかに夢にみえたまふ

この歌謡集は名歌ぞろいなのですが、その中でも私はこの歌が気になりました。

釈迦の月は隠れにき
慈氏の朝日は まだ遥か
そのほど長夜の暗きをば
法華経のみこそ照らいたまへ

私は、法華経信者ではありません。しかし、この歌に描かれている仏教の壮大な世界観、そして人々に寄り添う法華経のあり方には非常に心を打たれました。

暗く冷たい夜の沼、浮き沈みする魂を、照らす一輪、蓮の花。末世の闇を切り裂いて、白く輝く、蓮の花。

そのイメージは、キリスト教会に通っていた頃僕が抱いていたキリストのイメージとぴったり重なりました。

アダムはすでに堕落して、救済の日はまだ遥か、サタン飛び交う地の上を、イエスのみこそ照らいたまへ

といったパロディも簡単に作れます。

 

ちなみに、「慈氏」とは弥勒菩薩を指します。「慈氏の朝日」とは、弥勒がこの世界に現れて魂を救済することを指すのですね。

そういった弥勒下生信仰は、たびたび反体制派によって利用されてきました。最も有名なのは、紅巾の乱の原因にもなった白蓮教でしょう。彼らは、弥勒信仰の元に団結し、モンゴル人の支配を除けようと蜂起しました。明成立の後も白蓮教徒は秘密裏の活動を続け、その歴史は近代にまで及びました。その革命的な性質ゆえ、彼らはたびたび邪教として弾圧を受けました。

日本の弥勒信仰が現代にまで続いているのは、「慈氏の朝日」を「まだ遥か」なものと設定したからかも知れません。

 

昔に戻ることはできません。歴史を早めることも難しいでしょう。長く暗い人生。イエスでも法華経でも構いません、皆様を照らす光がありますように。

『牛乳屋テヴィエ』とユダヤ人

屋根の上のバイオリン弾きの原作。

イディッシュ文学の金字塔。

『牛乳屋テヴィエ』、読了しました。

 

この小説は、1910年代に書かれたウクライナが舞台の小説です。

主人公は題名の通り、牛乳屋を営むユダヤテヴィエ。彼が、聞き手である作者ショレム・アレイヘムに向かって語りかける形式で進んでいく小説です。

テヴィエは、貧しくも信心深い模範的なユダヤです。彼は、自分の娘たちのことを非常に可愛がっていました。しかし、娘たちはユダヤの伝統的な生き方から脱していこうとします。

自由恋愛革命、そして異教……テヴィエの娘たちはさまざまなものに飛びつき、テヴィエから離れていってしまいます。さらに、時代は反ユダヤ主義へと向かっていきます。苦悩し、切なさに耐えるテヴィエ。わたしはこれでも立派な男だ、女々しくてはいけないと言いつつ涙をこらえる彼の姿に、思わず私の方が泣いてしまいました。

なぜ、わたしに狙いを定められるのですか。

なぜ、わたしを負担とされるのですか。

なぜ、わたしの罪を赦さず

悪を取り除いてくださらないのですか。

日本聖書協会新共同訳聖書 ヨブ記7章より抜粋)

田舎の貧しい牛乳屋テヴィエの生活を通して、ユダヤ人の苦難に満ちた歴史、さらに言えば信仰者として生きる苦しみが描かれています。

私は、この小説を通して失っていた信仰を少し思い出しかけました。また、ユダヤ人の歴史に興味を持つようにもなりました。

大変面白い小説でした。

映画『ディブック』を観た!

僕は、イディッシュ文化(東欧ユダヤ人の文化)が大好きです。あまり詳しくはないのですが……ベーグルは美味しいですし、クレズマー音楽はイカしています。シャガールの絵も大好きです。

それなので、私はほかのイディッシュ文化も知りたいと思い、インターネットを漁っていました。

すると、このような記事

The Dybbuk - Wikipedia

を見つけました。(日本語版もあったのですが、英語版の方が充実していたのでこちらを貼りました)

私は、この演劇に興味を持ちました。

 

ディブックとは、ユダヤ・カバラ思想に登場する悪霊です。罪を持って死んだ人の魂であり、人に取り憑いてしゃべります。

シュロイメ・アンスキーという作家がその伝説を使って生み出した悲恋物語が、

『ディブック 二つの世界のはざまで』

です。

これは演劇作品として大反響を呼びました。かの『戦艦ポチョムキン』で有名なセルゲイ・エイゼンシュタインも、『ディブック』を観たことを「生涯忘れ得ない経験の一つ」と語っているそうです。

できればこの劇が観たい。『ディブック』を生で観たい。そう思ったのですが、なかなか上演されないようです。しからば、映画は無いのか。私は探しました。

ありました。

1937年の映画、『The Dybbuk』。その全編が、著作権切れでインターネット上に公開されていました。これは観るしかない。私はそう思い、2時間をポーランド語の映画に費やすことに決めました。

素晴らしかったです。特に主演女優の表情。悪霊と化したかつての恋人に取り憑かれ男の声で語り出すシーンがあるのですが、まさに圧巻した。

また、この映画は東欧ユダヤ人の民俗を知るきっかけにもなれそうです。黒い服装が非常にカッコ良かった……

とにかく、私は今まで以上にイディッシュ文化を知りたくなりました!